« 2005年3月 | トップページ | 2005年5月 »

2005年4月の7件の記事

2005/04/28

AdobeがMacromediaを買収

だいぶ時間がたっているが、個人的に結構ショックなニュースだった。

AdobeがMacromediaを34億ドルで買収

参ったなぁ。これでとうとう愛用ドローソフトのFreeHandが消えてしまう。
一時期はAdobe Illustratorの対抗馬として頑張っていたのだが、最近は完全に圧倒されて、単体で売られている所すら見かけなくなった。macromediaも諦めてFlashやDreamweaverに力を注いでいるようだったので、そう遠くない将来、xResやExtreme 3Dのように消えて行くのでは、と心配していた所だった。

FreeHandはプロフェッショナル用のドローソフトだ。日本ではあまりメジャーではないが、海外では結構使われていると聞く。特にまだAldus社が扱かっていた初期のバージョンの頃は、機能面でIllustratorを圧倒していた。最近のIllustratorしか使った事無い人には全然ピンとこないだろう。IllustratorはVer.4までプレビュー画面ではなんの操作もできず、色もなく細い線のみのアートワーク画面でないと作業ができなかったのだ。また扱えるデータ種類も限られていて、EPS以外のデータを扱うのがめんどくさかった。

私が本格的にFreeHandを使うようになったのは、販売元がmacromediaに移ったVer.5の時からだ。その頃、仕事でIllustrator3.2Jを使用していたが、FreeHand 5を見た時はビックリした。TIFFでもPICTでもPhotoShop形式でも何でもござれの優れたデータ互換性、柔軟なブレンドとグラデーション機能、一つのファイル内で複数のページレイアウトが可能で(Illustratorはペラものしかできなかった)、しかもページごとに用紙サイズを変更できた。当然、これ以前のVer.時代からプレビュー画面で作業も出来たし、貼付けたビットマップの表示も綺麗だった。QuickDrawのプリンタにもしっかり対応し、そしてなにより安かった。
個人でプロ用ソフトを買うのに、こんなに魅力的だったソフトは無い。

日本でFreeHandが普及しなかった理由の一つに、イメージセッタ出力が不安定、という噂がある。実際に不安定だったのかは判らない。私も一度だけ、PageMakerに貼付けたFreeHandデータの一部が出力されなかった事がある。しかし、果たしてFreeHandが悪かったのか。QuarkExpressに貼付け直したら出たので、PageMaker(その頃すでにAldusはなく、販売元はAdobeに移っていた)が悪かったのかもしれない。それ以外ではトラブルにあった記憶はない。

FreeHandが悪い評判を受けた初期バージョンの頃は、日本はまだまだDTP黎明期で、出力センターも数が少なく、情報やノウハウも少なかった。そんな中で、一部のトラブル事例がことさら大きく伝えられてしまったようにも思う。販売元だったAldusはAdobeほど日本では活発に活動していなかったようだから、出力センターなどへの的確なフォローが十分できなかったのだろう。
さらに当時はまだパソコン通信の時代で、今のようにトラブルが起きても手軽に情報を探せなかった(Niftyのグラフィックフォーラム『絵風蔵』にはFreeHandの達人がいて、よくお世話になった(^^;)。仕事で使うソフトとして、多少使い勝手が悪くても、安全パイのIllustratorを選ぶ人が多かった事は、想像に難くない。それにその後、IllustratorもVer.5から格段に使い勝手が良くなった(FreeHandほどぢゃあなかったが<負け惜しみ(^^;)。

それでもFreeHandは健闘したソフトだと思う。
あの頃、グラフィックスソフトは果たしてどれだけあっただろうか? ドローソフトだけでも、プロ用として紹介されるものは数種類はあった。Canvasとかね。Live Picture、Ray Dream、Expression、Infini-D、どれもその後聞かなくなった。結果として、DTPソフトはAdobe製品とQuarkExpressに収斂されているように思う。それはそれで仕方ない。仕事で使う物だからね。

でも一昔前の、各ソフトベンダーが、新しい独自の技術を盛り込んだソフト作りにしのぎを削り、店頭にならんだ個性あるソフトを眺めながら、このソフトはあれとどう違う機能があるのか想像を巡らす楽しみはもう味わえないのかもしれない。

Adobeさん、なんとかFreeHand残してもらえませんかね?
パーソナルユース向けのドローソフトとしてでもいいから。
仕事では使わないけれど、年賀状とか、作る時にないと困るのよね(^^;。
その前にOS X用にバージョンアップしろってか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/04/26

福知山線電車事故に関してもう1点

事故報道をみていると、直後から運転手の速度違反が事故原因であるかのような報道が目立つ。
松本サリン事件の教訓は全然生きていないのか。
事故調査中である現時点では、いたずらに憶測をあおるような報道は控えるべきではないのか。
もし事故の原因が、伊丹駅のオーバーランなどとは全く無関係な外的要因だった場合(ちなみに、電車のオーバーランなんて、どこでも良くありませんか?)、マスコミは運転手の名誉を回復してくれるのか?
運転手のご家族の今現在の心境を思うと、いたたまれない。

調査の結果、事故の主たる要因が23歳の運転手にあったとしても、現時点での決めつけたかのような報道は決して許されるべきではない。

こちらBlogのご意見に共感です。
『元気じゃぁ~.でもたまに愚痴るぞぉ~♪』

| | コメント (1) | トラックバック (2)

福知山線電車事故に関して2点

とんでもない惨事だ。大惨事である。
4月25日に兵庫県尼崎市で起きた電車の脱線事故だ。
一夜明けた現在で、死者72名、負傷者443名。救出活動はまだ続いている。被害に遭われた方々は本当にお気の毒だし、亡くなられた方々のご冥福を祈りたい。

事故については昨日からマスコミが総出で報じているので、詳細等はここでは置くとして、事件の本筋とハズれるかもしれないが、報道を見ていて気になった事を2点。

一つは、多くの人も同じ感想、というか疑問を持ったと思うのだが、事故車両があまりにもメチャメチャだと言う事だ。あんなにひしゃげられては、乗っている人間は堪らない。安全に配慮しなければならない電車が、あそこまでモロくていいのだろうか?
以前にも、同じ事を考えたことがある。00年3月8日の地下鉄日比谷線車両脱線事故の時だ。あの時も、皮を剥がされたかのような事故車両をみて、唖然としたものだ。
今回のような車両への外力のかかり方は想定外なのかもしれない。でも例えば、踏切で横からダンプカーが突っ込んでくる、なんていうのはありそうな話だ。最近の乗用車のように、転覆時などに客室空間を守るような対策は施せないものだろうか。
もちろん車と違って、格段に大きく、また縦に細長いという制約もあるだろう。構造的にも補強し辛そうではあるが、でもそこをなんとかするのが技術力。
こういった事故はおそらく今後も起こりうる。起きてしまえば、今回のように被害は大きくなる。電車を利用しない訳にはいかないのだから、なんとかしてもらいたい。

もう一点は事故とは基本的には関係ない。事故報道しているマスコミの態度だ。
事故直後から、JR西日本は何度か記者会見を開いている。事故後まだ数時間ほどしか経っていない頃の会見の中継での出来事。事故原因について、JR西日本側が「まだわからない、調査中である」とコメントした直後。マスコミ側から、ぞんざいな大阪弁で、『わからないことないだろう。人が死んでいるんだぞ!』と怒声が飛んだ。

聞いた瞬間、とてつもなくイヤな気分になった。

もちろん事故原因を明らかにする事は大切な事だ。でも事故直後で、まだ救出活動すらままならない状況なのだ。それまでの報道の経緯で、明確に事故に繋がる要因が見当たらないことも判っているし、実際、本格的な事故調査が始まったのは一夜明けた今朝からだ。なにより、人が死んだことと、事故原因がわからないことに、直接的な関係はない。

私が感じたイヤな気分は、この発言をした、テレビにも映らないマスコミ関係者が、『自分は社会正義の為に、糾弾してやっているんだ』といった勘違いに気付かず(意図的かもしれないが)、結果的に嵩にかかった恫喝をしていることだ。
事故現場で気分が高揚していることもあるのだろう。
ひょっとしたら、知人が事故に巻き込まれたのかもしれない。
それでもマスコミとしてこの発言はいただけない。言うならせめてテレビに映れ。とかくマスコミはこういう事件があると報道合戦で加熱して、批判を受けているが、実際の所、あまり反省はしていないんだろうな、と感じてしまった。

同じご意見のBlogがありました。
『うずら眼 - uzuraman's eye』

「そんな取材は無駄かつ邪魔」おっしゃる通りです。
『猫手企画@新聞屋』

似たような話がこちらにあります。ご一読ください。
『絵日記でも描いてみようかNew』

| | コメント (1) | トラックバック (4)

2005/04/25

どうしてこうなるのか

自民党の山崎拓氏が復活した。

どうしてこうなってしまうのだろう。
福岡2区の人達は、本当にこの人が代表で恥ずかしくないのだろうか? それだけ他の候補者が頼りなかったのか?

■山崎拓・自民党副総裁、女性問題敗訴で政治家失格
江川紹子ジャーナル〜雑記帳〜東京・苦あれば楽あり日記2002年5月16日
女性問題は存在しない」 山崎首相補佐官
山拓の運命握る“統一教会喜び組み女の戦い”−福岡補選
ちょっと懐疑派 過去BLOG : 山崎拓・武部勤

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2005/04/21

最近食べてないなぁ

昼間、小腹が空いた時にふと、最近中華料理店を見かけないような気がした。

中華料理といっても、華僑がやってそうな豪勢な本格的な店ではなく、もちろんバー○ヤンのようなチェーン店でもない。最近流行りの、変なこだわりラーメン屋でもない。個人経営の、ちょっと小汚い感じで、真ん中に穴の空いた丸椅子がカウンターに並び、読み散らかされた漫画とスポーツ新聞、レトロな14型テレビの高校野球、ちょっと恐そうなオヤジがやっている、いわゆる大衆食堂みたいなお店だ。
やはりこの不景気で、特にこの辺りのような田舎では、大手ファーストフードや外食チェーン店に負けて、やって行けないんだろうか。

でもこんなお店のレバニラとか、実は無茶苦茶旨かったりする。

以前勤めていた某小劇場の1Fにあった中華料理店のレバニラはホントに旨かった。店は狭くて汚くて空調が無く、夏は暑くて汗をかきながら食べていた。キックボクシング好きの親父さんはあまり商売っ気がなく、昼と夕方の飯時しか開店せず、タイミングが合わなくてしょっちゅう食いっぱぐれていた。値段もソコソコ。そのくせ量は半端じゃなく多かった。その事を知らない一見さんのお客(土建関係だった)が大盛りライスを頼んで、皿にてんこ盛りされたゴハンをみて絶句していた。「ウチはこの量なんですよ」とおばさんに言われ、しどろもどろに受け取っていたっけか。でも美味しいから、女の子でもちゃんと食べれちゃうんだよね。いつだったか野菜の値段が異常に高騰した時、さすがに量を減らすかと思ったら、「その分、肉を増やしたよ」と親父は笑っていた。

もう15年近く前、小田急線相模大野駅と小田急相模原駅のちょうど中間点にあった中華料理店の肉茄子も絶品だった。このお店は深夜まで営業していたので、終電で帰った時など重宝していた。ここの親父はちょっと貧相な不健康そうな人で、あまり覇気を感じない人だった。人当たりは悪くなかったんだけれどね。よく調理の合間に所在なげにタバコを吸っていた。遅い時間にも関わらず、中学生くらいの娘さんがよく店を手伝っていた。カワイイ子だった。
ある日いつものように終電帰りで、空きっ腹を抱えて店にいくと、店は真っ暗で閉店になっていて、私は一人で、すわ、夜逃げか? と勝手な想像を巡らした。そう思ってしまう程、貧相で覇気のない幸薄そうな親父だった。
今はその場所に居酒屋があるはずだ。
娘さんはちょうど微妙な年頃だったから、あまり不幸な話じゃなければいいんだけれど。他にいい条件の店舗が見つかって移転したのかな。でも別の場所で新しく店を構えるのなら宣伝していくだろうしなぁ。
真相はわからないが、今もどこかで、あの家族が中華料理店をやっていてくれていることを願っている。あの肉茄子にまた再び巡り会いたいからね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/04/20

安易過ぎないか?

今日の午後、幕張某施設内に開設されている図書館で調べものをしていて、休憩がてらトイレに向かった時のこと。
図書館を出て、トイレに向かう途中、廊下を利用した喫煙スペースがある。そこにスーツ姿の若い男女が12.3人程、和気あいあいとたむろって居た。
この施設は企業のセミナーなどにも使われているので、時節柄、新入社員研修でもやっていたのだろう。
そんな事を考えながら、そこを通り過ぎようとした時、その集団の内の一人の女性が、私に向かって『お疲れ様です』と元気良く声をかけて来た。その声につられてか、もう一人、若い男性も、『お疲れ様です』

言われた私は面食らってしまった。

なんなのそれ? どうそれに反応していいの? そんなに疲れてないし、疲れていてもアナタ達にねぎらってもらういわれは無いよ。と、戸惑ったままその場を通り過ぎた。

まぁ、きっと彼等は私がこの施設の関係者だと思ったんだろう。かなりルーズな私服だったが、胸にはIDカードのような図書館の入館証も下げていたし。こう考えるのはイヂワルというか、天の邪鬼といえるかもしれない。

しかしそれでもなお、『お疲れ様です』は安易過ぎないかとおもうのだ。どうも会社のマナー研修などで『会社などの中ではお互いにこうやって挨拶をしましょう』といわれてそのままやっているみたいな気がする。あの状況なら無視しても良いし、軽く会釈でもイイだろうし、『こんにちは』のほうがむしろしっくり来る。そう言う、いろんな状況で臨機応変に相手と接して行く事が大事なのではないか?
『お疲れ様です』その一言に、これ言っときゃ、とりあえずOK、みたいなノリを感じて、一人トイレで居心地の悪さを感じていたのだった。

それとも私の心が曇っているのかしら?(^^;

ちょうど似たような話がこちらのWeb Siteにありました。ご一読ください。

がんばれ!! ゲイツ君 column239『現代メール作法考察(2005.3/28) 』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/04/01

復活なるか

WSBの第一戦カタールのレースを観た。
結果はすでにRIDING SPORT誌やCYCLE SOUNDS誌で知っていて、第二ヒートでデビューウィンしたSuzukiの加賀山選手の走りを観たかったのだ。
しかし、私にとっては、実際のレース映像では加賀山選手よりも目立つ選手がいた。MotoGPからWSBに今年からコンバートした阿部ノリック選手だ。
実は、事前に聞いていた結果から、あまり阿部選手には期待していなかったのだ。
第一ヒートが10位、第二ヒートが7位。
オイオイ、MotoGPから来たってことで、期待されてたんじゃなかったのかよ。まぁ、もう阿部選手はライダーとしての旬が過ぎてしまったんだなぁ、やっぱ4stじゃダメなんだねぇ。なーんて失礼にも思っていたのだ。

失礼ついでに言わせてもらうと、私はここ数年、中でも最高峰クラスがMotoGPになってからの阿部選手には落胆していた。特に2004年冒頭に、一年間実戦を離れ、テストライダーとして過ごしていた03年を振り返ったインタビュー記事を読んだ時、この人はもうダメだろうと心底思った。そこにはこんなコメントがあったのだ。

「モチベーションを保つ為に、自分の出ていないMotoGPのレースは観なかった。」

そんな理由かよ!プロだったらレース観ててもモチベーションくらい保てよ!それでなくても技術進歩の著しいMotoGPなのだ。一年もレースの情報を入れなかったら、その後復帰できても困るだろう位のことは素人でも判る。

かつて500クラスで93年にチャンピオンをとったケビン・シュワンツは『125のレースからでも学ぶ事がある』と語っていた。実際、彼はある年の鈴鹿のレースで、それまで500では絶対に通らなかったラインで前車をパスした125ライダーをみて、その後の自分のレースでそれを試して勝った事があるそうだ。
またWGP125クラスで95、96年と二年連続チャンピオンをとった青木治親選手も、125での快進撃の影に、予選落ちしたレースを観戦した事を上げている。

阿部選手はまたこうも言っていた。

「テストライダーなのに、GPライダーとして遠慮して扱われて、あまりテスト走行はしなかった。」

03年、テストライダーとして実戦を離れる、と聞いた時、きっとこれがラストチャンスだ、と思った。
もともと阿部選手はマシンのセッティングはうまくないようだ。彼のライスポのコラムをみると、いつも「あまりセットアップはうまくいかなかったけれど、でも***だから気合いをいれた」みたいなコメントばかりだった。M・ドゥーハンの『阿部は自分が何故速いのか、理解していない』というコメントも有名だ。
そんな彼が、じっくりたっぷりとマシンと向き合う機会を得られたのだ。プロトンで散々苦労したおかげで、スズキに乗ってすぐにチャンピオンをとったケ二ーJr選手や、ブリジストンで散々タイヤテストをやったおかげで、三気筒プロトンをフロントローに持って行った青木宣篤選手みたいになれるだろう、と思っていた。
それなのに、なぜそんな貴重な機会を生かさなかったのだろう。無理矢理にでも自分からテストの申し入れをすれば良かったのに。

まぁ、素人の外野がとやかくいうのは簡単で、実際にはいろいろ問題もあったのだろうが、私のイヤな予想通り、MotoGPに復帰した2004年は当人にとっても散々な結果だったようだ。

WSBに参戦と聞いた時も、きっと大して活躍できないのではないかと思っていた。
だって、ずっと純レーサーでレースをしていた人なのだ。8耐に出た訳でもない、全日本SBもちょっとしか出ていない(しかも遥か昔)。そんなのが急にプロダクションレースにでても、成績不振をマシンのせいにして終わっちゃうんじゃないの? と思っていたのだった。

と、ここまで阿部ノリックファンから猛烈な抗議が来そうな事をダラダラ書いてきたが、実際にレースで走っている阿部選手を観てみると、予想以上に乗れているようにみえた。確かに結果は残念だったが、マシントラブルもあったし、今回は仕方なかったと思う。たぶん、本人も、久しぶりにまともなレースが出来たようにかんじているのではないだろうか?
こうなると、ちょっとまた希望が見えて来た。
かつて、やはりWGPからSBに活動の場を移した伊藤選手が、
「SBではマシンのセッティングの幅が狭い分、自分が乗り方を工夫しないといけない。GPを戦っていた時より今の方がバイクに対する理解度は高いし、だからこそGPにもどりたい。」
みたいな事を言っていたように記憶している。

阿部選手も、もともと才能はあるんだから、WSBを戦って行く中で、伊藤選手のような感覚をつかんで、今度はちゃんとセッティングも判るライダーになってまた来年、MotoGPにもどれたら良いなぁ、なんてレースを観ながら思っていた。

もちろん2005年WSBチャンピオンとしてね(^^)。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2005年3月 | トップページ | 2005年5月 »