« 8/6 ヒロシマ | トップページ | 島唄とひめゆり »

2005/08/09

8/9 ナガサキの日に思う

毎日新聞社がおわび掲載へ 高野連幹部の発言めぐり

2005年08月09日00時02分

 第87回全国高校野球選手権大会の6日の開会式前に、高陽東(広島)が全代表校に黙祷(もくとう)を呼びかけようとした際、日本高校野球連盟幹部が「原爆は広島だけのこと。この場でみんなを巻き込むのは良くない」と制した、と毎日新聞が報道したことについて、毎日新聞社は8日、「そのような趣旨の発言をしていないことが分かった」として、発言個所と「原爆は広島だけ」(大阪本社の夕刊)との見出しを削除する「おわび」を、この発言を掲載した地域の9日付朝刊に載せることを明らかにした。

 毎日新聞大阪本社の出口正作代表が8日、阪神甲子園球場を訪れ、日本高野連の脇村春夫会長に「取材の不備でご迷惑をかけた」と口頭で謝罪した。連盟側は謝罪を受け入れ、幹部の名誉回復への配慮などを求めた。

今朝の朝日新聞の記事である。
問題の発言が無かったとしても、朝日新聞内部での連絡がうまくいかなかった事が混乱の原因だとしても、高校生から提案された全代表校黙祷を高野連が却下した事は事実で、その事についての合理的かつ納得できる説明はなんらなされていない。

(終戦記念日の)15日正午に公式行事として黙とうしている。長崎市からは以前から(原爆投下日の)9日も黙とうしてほしいと要請されているが、理解してもらっている。
2005年8月6日(土) 23時1分 時事通信

意味が分からない。
6日と9日に黙祷したっていいじゃないか。
時間にしたって、かかっても5分位の事だ。
なにより高校野球が教育の一環であるというのなら、高校生が自主的に申し出た事を喜び、積極的に後押しするべきだろう。なにか特別な思想的背景があるのか? ただ単に運営がメンドクサかっただけなのか? いずれにせよ、後味の悪い話だ。

この騒動の中で、一部のblogなどでは、広島、長崎だけを特別扱いするべきではない、という意見も見受けられた。昭和20年だけでも、東京大空襲や沖縄戦など、他にも大勢人が死んでいるから、という理由だ。また、広島長崎の反核運動が、一部の思想団体の運動である、という批判もあった。

アメリカでは、真珠湾攻撃と広島、長崎を同列に論じて、原爆投下を正当化する意見が圧倒的に多い。確かに人が死ぬという事では、機銃掃射で死のうと、焼夷弾で死のうと、原爆で死のうと、死という結果は同じだろう。もともと戦争それ自体が非人道的なのだから、それぞれの兵器の残虐さを比較することはナンセンスなのかもしれない。

しかし、核兵器が他の兵器と決定的に違うのは、その破壊力もさることながら、放射能による持続的な被害を生存者に与え続けることにある。当時の被爆者になんらかの戦争責任があったとしても、戦後60年たった今日まで、放射能障害と言う形で、彼等だけにその責任を個人的に問うべきなのだろうか。戦争を全く知らない彼等の子供や孫、さらにその先の世代まで、放射能による遺伝的な障害に怯える人生を送らせるべきなのだろうか。

広島長崎が特別なのは、核兵器が特別だからだ。
広島長崎の惨劇の記憶は、核兵器と生きなければならない人類が共有しなければならない歴史なのだ。
あの日、核兵器が人間に対して使われて、何が起きたのか。
この認識なしで核廃絶はあり得ない。

60年目のナガサキに、黙祷。

|

« 8/6 ヒロシマ | トップページ | 島唄とひめゆり »

コメント

私もあなたの意見に同意したい。このような動きを「特別扱い」としないような、そんな社会を目指したいと思う。

投稿: 岡村 | 2005/08/16 21:27

岡村さん、コメントありがとうございます。
最近、戦争について斜に構えた意見を多く目にしているので、とても勇気づけられます。
戦争も核兵器も、無い事が前提になるような世界になってもらいたいものです。

投稿: Q | 2005/08/17 04:55

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 8/9 ナガサキの日に思う:

« 8/6 ヒロシマ | トップページ | 島唄とひめゆり »