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2005年8月の5件の記事

2005/08/24

変節する程の理念ありや?

国民新党に所属していた長谷川憲正参院議員が、新党日本に入党した。テレビのニュースで長谷川氏本人は、「私が変節したと考えないでほしい」と言っていた。

そうでしょうとも。 ええ。もちろん、そんな風にはこれっぽっちも考えやしませんよ。だって、変節するもなにも、もともと信念も理念もありゃしないんでしょ、あんたは。

二つの政党にしたって同じ事。
なんやかやとカッコイイこと言っても要はただの数字合わせなんだから、ぐたぐた言わずにさっさと一つの党にしちゃえばいい。そうすりゃ余計な腹を探られずに済んだろうに。どうせ、どこが違うのかなんてサッパリ判らんし、どこも違わんのだろうし。当選すれば、最終的には自民党に吸収されちまうんだろうからさ。

どうも今回の選挙、日々政治に対して脱力させてくれるニュースに事欠かない。しかし選挙には必ず行きましょう。もちろん、こういったエセ政治家共を落とす為にね。そうしなきゃ、ホント、世の中良くならないって。

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2005/08/22

島唄とひめゆり

宮沢和史の旅する音楽 その1 たった一人のために

 「島唄」は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。
 91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた激しい沖縄地上戦で大勢の住民が犠牲になったことを知った。
 捕虜になることを恐れた肉親同士がお互いに殺し合う。極限状況の話を聞くうちにぼくは、そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。
 資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟)の中にいるような造りになっている。このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。
 だが、その資料館から一歩外に出ると、ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。
 歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」という下りだ。「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが、この部分は本土で使われている音階に戻した。2人は本土の犠牲になったのだから。
 (みやざわ・かずふみ。66年生まれ。歌手)

2005年8月22日 朝日新聞

今日の朝刊からの転載である。

『島唄』は世界的にも有名で、私も大好きな曲ではあるが、その歌詞の内容については、普遍的な人生を語ったものか、悲恋物語かな、位にしか考えていなかった。
このコラムを読んで、初めてそこに込められている想いを知った。

THE BOOMのファンにはこの話は常識なのだろうか?と思って、ネットでいくつか検索してみたが、この唄の意味を知って驚き感動した、というようなサイトが多い所からして、宮沢さんと言う方は、普段はあまりこういった歌詞の説明をされていないのだろう。アーティストのスタイルとして、それは構わないのだが、今後はぜひ積極的に、この話をしてもらいたいと思った。
『ひめゆりの体験談が退屈だった。』なんていう無神経な入試問題がでる今日、島唄が、若い世代が沖縄戦について関心を持つキッカケになれば、きっとそのおばあさんも喜ぶだろう。

ちなみに、初めてこの曲をテレビCMで聴いた時、「シマウマ」の歌だと思った事は内緒だ。

<追記>
いくつかのWeb SiteやBlogで、『島唄の歌詞の意味』と題して、歌詞全文分を掲載しているところがあるが、宮沢氏は以前どこかで、自身でそういったものを発表されているのだろうか? どうも内容的に、上記のコラムと相容れないように感じるモノもあるのだが・・・。

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2005/08/09

8/9 ナガサキの日に思う

毎日新聞社がおわび掲載へ 高野連幹部の発言めぐり

2005年08月09日00時02分

 第87回全国高校野球選手権大会の6日の開会式前に、高陽東(広島)が全代表校に黙祷(もくとう)を呼びかけようとした際、日本高校野球連盟幹部が「原爆は広島だけのこと。この場でみんなを巻き込むのは良くない」と制した、と毎日新聞が報道したことについて、毎日新聞社は8日、「そのような趣旨の発言をしていないことが分かった」として、発言個所と「原爆は広島だけ」(大阪本社の夕刊)との見出しを削除する「おわび」を、この発言を掲載した地域の9日付朝刊に載せることを明らかにした。

 毎日新聞大阪本社の出口正作代表が8日、阪神甲子園球場を訪れ、日本高野連の脇村春夫会長に「取材の不備でご迷惑をかけた」と口頭で謝罪した。連盟側は謝罪を受け入れ、幹部の名誉回復への配慮などを求めた。

今朝の朝日新聞の記事である。
問題の発言が無かったとしても、朝日新聞内部での連絡がうまくいかなかった事が混乱の原因だとしても、高校生から提案された全代表校黙祷を高野連が却下した事は事実で、その事についての合理的かつ納得できる説明はなんらなされていない。

(終戦記念日の)15日正午に公式行事として黙とうしている。長崎市からは以前から(原爆投下日の)9日も黙とうしてほしいと要請されているが、理解してもらっている。
2005年8月6日(土) 23時1分 時事通信

意味が分からない。
6日と9日に黙祷したっていいじゃないか。
時間にしたって、かかっても5分位の事だ。
なにより高校野球が教育の一環であるというのなら、高校生が自主的に申し出た事を喜び、積極的に後押しするべきだろう。なにか特別な思想的背景があるのか? ただ単に運営がメンドクサかっただけなのか? いずれにせよ、後味の悪い話だ。

この騒動の中で、一部のblogなどでは、広島、長崎だけを特別扱いするべきではない、という意見も見受けられた。昭和20年だけでも、東京大空襲や沖縄戦など、他にも大勢人が死んでいるから、という理由だ。また、広島長崎の反核運動が、一部の思想団体の運動である、という批判もあった。

アメリカでは、真珠湾攻撃と広島、長崎を同列に論じて、原爆投下を正当化する意見が圧倒的に多い。確かに人が死ぬという事では、機銃掃射で死のうと、焼夷弾で死のうと、原爆で死のうと、死という結果は同じだろう。もともと戦争それ自体が非人道的なのだから、それぞれの兵器の残虐さを比較することはナンセンスなのかもしれない。

しかし、核兵器が他の兵器と決定的に違うのは、その破壊力もさることながら、放射能による持続的な被害を生存者に与え続けることにある。当時の被爆者になんらかの戦争責任があったとしても、戦後60年たった今日まで、放射能障害と言う形で、彼等だけにその責任を個人的に問うべきなのだろうか。戦争を全く知らない彼等の子供や孫、さらにその先の世代まで、放射能による遺伝的な障害に怯える人生を送らせるべきなのだろうか。

広島長崎が特別なのは、核兵器が特別だからだ。
広島長崎の惨劇の記憶は、核兵器と生きなければならない人類が共有しなければならない歴史なのだ。
あの日、核兵器が人間に対して使われて、何が起きたのか。
この認識なしで核廃絶はあり得ない。

60年目のナガサキに、黙祷。

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2005/08/06

8/6 ヒロシマ

昨夜、TBSの特番『ヒロシマ』をみた。
とても秀逸な番組だった。
改めて、当たり前の事を再認識した。

 核兵器は、絶対悪である。
 生命に対する冒涜である。
 我々の知性と想像力は、
 争いと破壊の為ではなく、
 理解と創造の為に使われるべきである。

核廃絶は確かに不可能かもしれない。
でも、それを目指して行くしかない。
相手も同じ人間だと認めて、思いやりの心を持てば、
絶対に核兵器なんか使う気にならないと思うんだけれど、
それが一番難しいのかな。

人間はそんなに愚かでないと信じつつ、
60年目の今日に祈りを捧げます。

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2005/08/05

MotoGP Rd.10 ドイツ・ザクセンリンクの赤旗

MotoGP 第10戦、ドイツGPを観た。
レース自体の内容もさることながら、その運営の仕方に感心させられた。具体的には、赤旗の扱いについてだ。

もともとヨーロッパではモータースポーツが盛んで、特にスペイン、イタリアでは二輪レースは非常に人気がある。ドイツも例外ではなく、最近はあまりパッとしないが、かつてはラウディスやワルドマンといった一流のドイツ人ライダーがGPに参戦していた。そういった素地があるからなのかもしれないが、運営側がモータースポーツの安全性を確保する事を何よりも最優先させている姿勢が伺えた。

今回、125のレースとMotoGPのレースで赤旗中断があった。125のレースでは、22周目に11番手走行をしていたジレラのポッジャーリ選手が転倒。ポッジャーリは大きな怪我も無く、コース外に逃れたが、ジレラのマシンが直線コースの真ん中に取り残された。しかし、走行ラインからは外れた位置なので、黄旗を呈示した上で、バイクの流れが途切れた所を見計らって、マーシャルがバイクをどかしに行くかと思っていたら、即座に赤旗が振られていた。

MotoGPの方は、6周目にスズキのホプキンス選手が派手にハイサイドで転倒。ホプキンスは転倒時の衝撃で、コースの端で動けなくなっていた。この時も、即座に赤旗が呈示されていた。

どちらのケースも、なんのためらいも無く赤旗が振られたことに少々驚いた。125のレースなどは、赤旗を振った時点で規定周回数をクリアしていたので、あと5周程残っていたレースが、その場で終了になってしまったのだ。走っていたライダー達も、なにやらすっきりしない顔のままピットに帰って来ていた。

また、今回のレースでは、ドイツ国営放送がレース中継を行い、その放送時間に合わせる為に、MotoGPのレーススケジュールが変更されていた。レースの中断はそんなTV放送にとって、迷惑以外のナニモノでもないだろう。MotoGPの運営側にしても、プロスポーツである以上、TVの放送スケジュールを優先させたい思いが、少しはあったと思う。しかし今回、裏でそういった事が考えられているような時間を感じさせる事も無く、サーキットの運営側が赤旗を出した事は非常に評価できると思う。

今回の赤旗をみて、加藤大治朗選手の鈴鹿での事故を思い出していた。
あの時、何人かのライダーが、すぐに赤旗が呈示されなかった事に疑問を投げかけていた(そして実際、赤旗は呈示されず、レースは続行された)。その後の事故調査の報告で、旗の呈示や救護の手順、運営について、落ち度は無かったとされているので、ここではその是非は置いておく。でもあの悲劇から得られた教訓が、今回の赤旗呈示に少しでも反影されているのだとしたら、すばらしい進歩だと思う。

モータースポーツを健全かつ安全なものにしようとする努力が、より一層、世界中のサーキットで深まる事を期待したい。

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