« 2005年12月 | トップページ | 2006年2月 »

2006年1月の3件の記事

2006/01/29

クロ 〜みんなのうた〜

なにげなくみたNHKの『みんなのうた』で、遊佐未森の『クロ』という歌を聴いた。
ある日出会った半ノラの黒猫「クロ」との日々と、別れを唄った歌で、彼女の実体験を基にしているとのこと。一度でも動物と暮らした事がある人なら、絶対に切なくなり、泣けてくる、いい歌だ。

もう10年も前、東京でアパート暮らしをしていた頃、アメリカンショートヘアーの雑種らしき子猫を拾った。『もも』と名付けたその子は、顔は目ヤニだらけで、既に角膜は両目とも白く白濁していた。小さい体はガリガリに痩せていて、体重は600gほど。しかし、獣医によると、歯の具合から、既にもう生後三か月は経っているだろうとの事。極度の栄養失調状態だった。

部屋に連れて帰ってから三日ほどは眠りこけるだけで、水も飲まなかった。疲労と緊張からか、電気毛布の上でうずくまっていた彼女が、初めて体をのばし、お腹を見せて、安心しきって眠る姿を見た時の、なんとも言えない愛おしい感情を忘れる事ができない。こんな小さな命が、どれだけの苦労と苦痛を味わってきたのか、考えただけで胸が締め付けられるようだった。

その後、元気を取り戻したももは、三か月ほどであっという間に成長し、やんちゃ盛りのかわいい同居人になった。流しのシンクに入るのが一番のお気に入り。かつお節が大好きで、魚を焼くといつも背伸びしてグリルをのぞいていた。毎日帰宅すると玄関で待っていてくれて、パソコンに向かっていると、ずっと机の上で、静かに目を閉じ、たたずんでいた。

しかし、同居して半年を少し過ぎた頃、外に遊びにいったきり、帰ってこなかった。

それから二か月、近所を必死に探しまわった。仕事から帰ると、自分で作ったチラシを一件一件に配って回った。ペットの探偵まで雇った。しかし、見つからなかった。探偵が聞いた話だと、行方不明になった頃に近所で車に轢かれた猫がいたらしいが、それがももだったかどうかはわからない。

『クロ』を聴いて、久しぶりにもものアルバムを見返してみた。今でもたまに、あの後、誰か親切な人の家で世話になって、天寿を全うしていてくれればいいと、夢想する時がある。
ほんとに、『君に会えたことが宝物』だ。

話はそれるが、ももを探していた時、一番嫌で、傷付いた事がある。
それは、「お宅が探している猫を保護している」という連絡を受けて、先方に出向いてみると、明らかに違う猫が待っていた時だ。本当に、純粋に間違いなら仕方ない。しかし、どう見ても故意の間違いなのだ。性別も、毛の色も、大きさも、何一つ特長が合っていない。もちろん、猫をあまり飼った事のない人なら、仕方ない事かもしれないが、その人が私への連絡に使った、私が作ったチラシやポスターには、当時まだ高かったカラーコピーを使っていたので、毛の色などは間違えようがないはずなのだ。そして、この猫じゃない、と私が言った後には、必ずこう言われた。

「残念ね。でも困ったわ、私もこの猫飼えないし。よかったら、この猫連れていかない?」

これほど酷い仕打ちがあるだろうか?
要は初めから、人にその猫を押し付けるつもりで呼びつけたのだ。あまりにも無神経で思いやりのない話だ。何のために猫を探していると思っているのか。ももと共に過ごした日々があるからこそ、あの子を探している。いなくなったから、じゃあ代わりにこの猫で、と言うわけにはいかないのだ。さらに、猫を愛する身としては、目の前の猫のこの後を考えると、非常に辛く、悲しい気持ちになってしまう。きっとこの後、この人はこの猫をまた放置するのだろう。悪くすると、保健所に連絡するかもしれない。この猫の、それからの辛い日々を考えると、私だって連れ帰りたいのはヤマヤマだが、1Kのアパート暮らし(しかもペット禁止)では2匹も3匹も飼うわけにはいかない。今度こそももに会えるかもしれない、という淡い期待が打ち砕かれた落胆と、今見た猫の将来を案ずる辛さを抱えて、一人アパートに帰る時の悲しさといったらない。犬や猫を探すポスターやチラシを見る度に、この人たちのところにはあんな自分勝手な善意の連絡が行かないように願っている。

『クロ』というと、もう一つ、『クロ號』という漫画がある。厳しい猫の世界を淡々と描いている。こちらも猫好きにはお勧めだ。是非一度、読んでみて下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/01/21

食べるワケがない

農務長官「安全性の問題ではなく米国側の失敗」米産牛肉輸入停止<1/21 10:45>

 日本がアメリカ産牛肉の輸入を当面、停止すると発表したことに対し、アメリカ政府と食肉業界には衝撃が走っている。

 マイク・ジョハンズ農務長官は20日、記者会見を開き、「これは食品の安全性の問題ではなくアメリカ側の受け入れがたい失敗」「非常に不愉快だ。検査官が発見すべきことだった」と述べ、事態を深刻に受け止め、日本政府に遺憾の意を伝えたという。また、問題の業者を日本向けの輸出業者リストから外したほか、検査官を増やしてすべての輸出関連施設を検査する方針を明らかにした。

 一方、米国食肉協会のパトリック・ボイル会長も20日、会見をひらいた。「関与しているのは一つの施設、一つの積み荷。政府の措置はそこに集中すべきで我々もその特定の施設に焦点を当てている。日本もその施設に焦点を当てるべきだ」と述べるとともに、日本側の輸入全面禁止措置には賛成できないとの考えを示した。

 実際に問題の牛肉を輸出した業者は、「危険な部位は除去しなくてはならない」という基本的な点について、日米間の合意との「認識の違いがあった」とコメントした。

日テレニュース24

『輸入全面禁止措置には賛成できない』って。米国食肉協会の会員達はもう既に、脳にプリオンが回りきっているようだ。

問題の牛肉は、税関職員が目視で違反を確認できたと言う。こんな肉を、すったもんだの挙げ句にやっと輸入再開して一月も経たないうちに送りつけられたら、禁止しない方がおかしいだろう。立場が逆なら、これを口実に絶対に何らかの制裁措置を受けている。

アメリカ食肉業者が、本当は日本になんか牛肉を出荷したくないからワザと問題を起こした、というのでなければ、とてつもなく日本の消費者をバカにして、その健康を如何に軽視していたか、という証拠だと思う。相手が狂牛病に神経質になっていることを知っていたにも関わらず、こう言う事態が起きたと言う事は、「肉にしちゃえば分かるまい。日本人が病気になったって知った事か。」とでも思っていたとしか思えない。あまりにもお粗末だ。

このニュースを聞いて、真っ先に思ったのは、アメリカと言う国は本当に自分本位で、自分さえ良ければ他の国の人の健康なんか、全く気にかけない人たちなんだなぁ、と言う事だ。彼等はアメリカ(自分達)の利益を守る事だけに執着しすぎて、自分達以外の60億の人間も同じ人間なんだ、と言う事を実感できないのだろう。こう言うアメリカの姿勢は、特に戦争の時に強く発揮されているように思う。だから平気で原爆も枯れ葉剤も使える。空爆もするし、劣化ウラン弾なんか使う。

今回のことも、はじめから全頭検査を受け入れていれば、多少は手間と経費がかかったかもしれないが、大手を降って牛肉を輸出できて、最終的には利益は上がったはずだ。手間と経費を嫌った理由は、日本人相手にそこまでする気になれなかった、というだけではないのか? いくら日本の消費者が愚かだとしても、ここまでバカにされたら、禁止措置が解けたとしても、そうそう簡単にはアメリカ産牛肉を口にはしないだろう。

でもきっと、これでアメリカ産牛肉の消費が減ったら、『間違った事実に基づいた、不公正な競争が行われている』とかなんとか、イチャモンつけてくるんだよね。きっと。そんな愚かな対応をしてくるのではなく、今回の事をもっと真摯に受け止めて、日本の消費者が喜んでアメリカ産牛肉を食べよう、と思いたくなるような対応を、米国食肉協会にはしてもらいたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (6)

2006/01/15

Little Birds -イラク戦火の家族たち-

本日、都内某所にて、

「Little Birds -イラク戦火の家族たち-」

という映画を見てきた。

内容は、2003年3月のイラク戦争開戦直前から、その後の一年間、イラクの一般の人たちを追いかけたドキュメンタリーだ、とだけ書いておこう。
とにかく圧倒的に濃密な内容なので、人からとやかく聞く前に、何はさておき、まずは見てもらいたい。今後も全国で上映会を行うそうだし、近々ビデオやDVDの販売、レンタルも始まるらしい。
詳細は上記タイトルのリンク先を参照してください。

色々書きたい事もあるのだけれど、なかなか考えが落ち着かない。でも一つだけ書いておくと、これは遠い国の出来事だけれど、決して違う世界の話ではない。似たような事は60年前のこの国にもあった事だ。映像の中のイラクの人たちに、自分や、自分の愛する人や、息子や娘や両親や友人の姿を重ね合わせて見てほしい。

ほんとに、なんで人は戦争なんてするんだろう。他にする事は沢山あるだろうに…。

| | コメント (4) | トラックバック (2)

« 2005年12月 | トップページ | 2006年2月 »