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2006/01/29

クロ 〜みんなのうた〜

なにげなくみたNHKの『みんなのうた』で、遊佐未森の『クロ』という歌を聴いた。
ある日出会った半ノラの黒猫「クロ」との日々と、別れを唄った歌で、彼女の実体験を基にしているとのこと。一度でも動物と暮らした事がある人なら、絶対に切なくなり、泣けてくる、いい歌だ。

もう10年も前、東京でアパート暮らしをしていた頃、アメリカンショートヘアーの雑種らしき子猫を拾った。『もも』と名付けたその子は、顔は目ヤニだらけで、既に角膜は両目とも白く白濁していた。小さい体はガリガリに痩せていて、体重は600gほど。しかし、獣医によると、歯の具合から、既にもう生後三か月は経っているだろうとの事。極度の栄養失調状態だった。

部屋に連れて帰ってから三日ほどは眠りこけるだけで、水も飲まなかった。疲労と緊張からか、電気毛布の上でうずくまっていた彼女が、初めて体をのばし、お腹を見せて、安心しきって眠る姿を見た時の、なんとも言えない愛おしい感情を忘れる事ができない。こんな小さな命が、どれだけの苦労と苦痛を味わってきたのか、考えただけで胸が締め付けられるようだった。

その後、元気を取り戻したももは、三か月ほどであっという間に成長し、やんちゃ盛りのかわいい同居人になった。流しのシンクに入るのが一番のお気に入り。かつお節が大好きで、魚を焼くといつも背伸びしてグリルをのぞいていた。毎日帰宅すると玄関で待っていてくれて、パソコンに向かっていると、ずっと机の上で、静かに目を閉じ、たたずんでいた。

しかし、同居して半年を少し過ぎた頃、外に遊びにいったきり、帰ってこなかった。

それから二か月、近所を必死に探しまわった。仕事から帰ると、自分で作ったチラシを一件一件に配って回った。ペットの探偵まで雇った。しかし、見つからなかった。探偵が聞いた話だと、行方不明になった頃に近所で車に轢かれた猫がいたらしいが、それがももだったかどうかはわからない。

『クロ』を聴いて、久しぶりにもものアルバムを見返してみた。今でもたまに、あの後、誰か親切な人の家で世話になって、天寿を全うしていてくれればいいと、夢想する時がある。
ほんとに、『君に会えたことが宝物』だ。

話はそれるが、ももを探していた時、一番嫌で、傷付いた事がある。
それは、「お宅が探している猫を保護している」という連絡を受けて、先方に出向いてみると、明らかに違う猫が待っていた時だ。本当に、純粋に間違いなら仕方ない。しかし、どう見ても故意の間違いなのだ。性別も、毛の色も、大きさも、何一つ特長が合っていない。もちろん、猫をあまり飼った事のない人なら、仕方ない事かもしれないが、その人が私への連絡に使った、私が作ったチラシやポスターには、当時まだ高かったカラーコピーを使っていたので、毛の色などは間違えようがないはずなのだ。そして、この猫じゃない、と私が言った後には、必ずこう言われた。

「残念ね。でも困ったわ、私もこの猫飼えないし。よかったら、この猫連れていかない?」

これほど酷い仕打ちがあるだろうか?
要は初めから、人にその猫を押し付けるつもりで呼びつけたのだ。あまりにも無神経で思いやりのない話だ。何のために猫を探していると思っているのか。ももと共に過ごした日々があるからこそ、あの子を探している。いなくなったから、じゃあ代わりにこの猫で、と言うわけにはいかないのだ。さらに、猫を愛する身としては、目の前の猫のこの後を考えると、非常に辛く、悲しい気持ちになってしまう。きっとこの後、この人はこの猫をまた放置するのだろう。悪くすると、保健所に連絡するかもしれない。この猫の、それからの辛い日々を考えると、私だって連れ帰りたいのはヤマヤマだが、1Kのアパート暮らし(しかもペット禁止)では2匹も3匹も飼うわけにはいかない。今度こそももに会えるかもしれない、という淡い期待が打ち砕かれた落胆と、今見た猫の将来を案ずる辛さを抱えて、一人アパートに帰る時の悲しさといったらない。犬や猫を探すポスターやチラシを見る度に、この人たちのところにはあんな自分勝手な善意の連絡が行かないように願っている。

『クロ』というと、もう一つ、『クロ號』という漫画がある。厳しい猫の世界を淡々と描いている。こちらも猫好きにはお勧めだ。是非一度、読んでみて下さい。

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